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2010年12月27日 (月)

解散

赤組が突然の解散、いやはや、驚かされました。どこのどいつだ、転売なんてしやがったのは。新しく結成される読売ジャイアンツ応援団、今からの募集ではて形になるのだろうか、不安はあります。でも前の赤組の面子が殆どだったら、誰がやらかしたか特定出来ちゃうんだよな、きっと。それはそれで複雑よのう。。

真面目にやっている人達が本当に気の毒。応援団活動に専念というのは考え難い。仕事しながらやってるのだろう。簡単に出来るもんじゃない。チームのために頑張ってきたのに一人がぶち壊してしまったのだからなあ。

新しい応援団、最初はなかなかうまくいかないこともあるだろうけれど、そこはファンが共に頑張っていくしかないのかね。20人の募集じゃ今年並みの規模になるんだろうけれど、ゆくゆくはレフGでも活動して欲しいもんだ。

まさか久々の更新がこんな形になるとは思わなかったよ。

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2010年12月 2日 (木)

アジアの大砲、関西へ

巨人を自由契約となった李承燁の行き先がオリックスに決まった。カブレラとの交渉が決裂し、一塁を守れる選手という事で白羽の矢が立った。獲得に動いたのは監督がどんでんだったから、ということもあるのだろう。阪神監督時代はスンちゃんがロッテにいた頃からかなりやられていたし。ただし、一つ忠告するならば、相性抜群の矢野は敵に居ないんだぞ、ということくらいか。

2006年に加入したスンちゃん。シーズンが開始して、本当に大当たりの四番が来た、とものすごく喜んだものだ。故障者続出で貧打に苦しむ中、孤軍奮闘という活躍ぶりだった。が、その後の長期契約が災いしたのか、師匠である内田さんや伊勢さんがいなくなったことが響いたのか、2008年以降急激に成績を落とした。一塁の守りは計算出来るだけに今年はチャンスだったがスイングを見てもかつての輝きは取り戻せていなかった。あと一年プレーすれば日本人扱いになったと思うが、それでも止めなかったのは厳しいと判断したのだろう、とも思う。

忘れられないアーチが二本ある。2008年9月の阪神三連戦の三戦目。0-2のビハインドから逆転に成功しアッチソンからラミレスが二点タイムリーを放った直後、スンちゃんが試合を決定付ける3ランをライト上段へ放った。実はその前日も下柳からアーチを放っていたがほぼ変わらぬ弾道だった。あのアーチでとうとう阪神とのゲーム差を0にした。そしてもう一本は去年の日本シリーズ三戦目。オビスポがソロ二本浴びて0-2というビハインドだったが2点目を取られたすぐ裏に、打った瞬間それと分かるライト上段へのアーチを放った。あれで試合はまだ分からないという流れを作れた。他にも思い入れのあるシーンは多いが特に記憶に残っているのはこの二本だ。

新天地で復活するのか。巨人戦以外での活躍を祈ろう。

締めはここ数年でも屈指の名歌で。

熱きアジアの大砲に
 熱き魂を込めた
  この歌よ届け
   ホームラン李承燁

イ・スン・ヨ・イギョラ

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