育成から旋風を巻き起こした投手
13年前の話になるのか。高校を出てからダイヤモンドバックスのマイナーに所属していた青年が日本に戻ってNPB入りを目指そうと決めたのは。あの時少しでもストーリーが違っていれば、私たちは山口鉄也、ぐっさんを見なかったかもしれない。子供の頃に目指していた横浜のテストと、参入一年目を終えた楽天のテストを受けたがどちらも不合格。最後に受けたのがジャイアンツだった。一つの変化球がコーチの目に留まった。光るものをそこで感じたのだろう。そして、この年から育成制度が導入されるところだった、ということも幸いした。育成でなら、と球団も獲得を決められたのでしょう。鳴り物入りで入団した辻内、そしてその年の絶望枠◯◯(諸事情により伏せ字にしております)が中心となっていた入団会見で、隅にいたのがぐっさんだった。この時誰が予想出来ただろう。彼が一番長くプレーしてお金も稼ぐことになる、と。
1年間小谷さんの下で鍛えられ、この年のオフに転機が訪れた。その年のオフに横浜に行くことになる工藤に誘われて自主トレに参加した。ここで心身ともに成長したことで、開幕支配下登録こそならなかったものの、シーズン途中に支配下登録された。背番号99を着けてプロ1勝目を手にした。その年の秋頃に阪神戦で悔しい思いをした。監督にメンタルと技術どちらの問題か問われ技術と答えたようだが、メンタルと答えたら今の位置で使おうと思わなかったのではないか。そして翌年、工藤の背番号47を受け継いでからは、さらに輝きを増したのだ。
同い年の越智とともにセットアップを担うまでになった。新人王は阪神の岩田でほぼ決まりだろうと思われたが、ぐっさんが抑えて何度も逆転したことで、メイクレジェンド達成。終わってみれば11勝。文句なしの新人王に輝いた。高卒2年目で全試合出場を果たした坂本勇人が取れなかったのは、ぐっさんの活躍がそれ以上だったからということでしょう。
翌年はWBC優勝を味わい、シーズン前年同様に活躍して初の日本一を味わった。その翌年、勤続疲労を考慮して先発転向を命じられるが、結局元に戻った。その後はご存知の通りの活躍。6度の優勝を経験出来たが、うち5度は、ぐっさんがいたからこそ。マウンドに上ったら、ファンに安心感を与え、相手を追い詰めることの出来る投手だった。
投げる前にゆずの栄光の架橋が流れてきた、という2度目の日本一の瞬間も印象深いが、自分が一番覚えているのは2012年に見た西武ドームでの投球。平日で早くに着けず、席に着いた頃にはもう9回裏だった(今思えばよく見に行ったよなぁ…)。2-0でリードしてて杉内が完封ペースで、そのまま行けるか、というところで、中島と中村を歩かせてノーアウト一塁二塁のピンチに。そこでぐっさんが出てきたが、秋山も歩かせてノーアウト満塁とピンチが広がった。ここからが凄まじかった。ヘルマンに投じたインコースのスライダー、あれを当たりに行かれたら違っていたかもしれないが、三振でワンアウト。そして阿部をサードゴロに打ち取り、5-2-3の併殺で試合終了。瞬間に内野席で叫んだが、あの興奮はまだ覚えている。この投球を生で見られただけでチケット代以上の価値があった。
と、長くなってしまったが、何度もチームを救ったところを見てきたから、そうなるよなぁと。他の引退選手を改めて触れると言ったのに、先に書いちゃうのだから、思い入れも伝わったことでしょう笑
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コメント
Takaさんこんばんわ。グッさん本当にお疲れ様でした。様々な思いがありますよね。この様な投手はもう出てこないかと。いろいろな人との出会いや巡り合わせ、タイミング次第で人生は大きく変わるんだなと改めて感じました。会見でこれだけの主力選手が駆けつけるのもグッさんの功績と人柄があったからです。もう見る事が出来ないのは本当に寂しいですね。
投稿: あおっち | 2018年10月 5日 (金) 22時34分
あおっちさん
こんばんは。
本当にぐっさんにとっては良いめぐりあわせで、彼の持っていた能力が発揮されましたよね。そして素晴らしい仲間に巡りあえました。フリーのはずのムラタさんが来ていたことに一番驚きました。
ピンチに出てきたぐっさんに対し、いい顔してるねぇ~、と和ませた慎之助、それに笑うぐっさん、いい関係だったと思います。
いつもそこにいたという選手の引退、寂しくなりますね。
投稿: Taka | 2018年10月 6日 (土) 01時39分
お疲れ様です。球団史上最高の中継ぎで育成のレジェンド、お疲れ様でした。あらためてみるとすごい経緯ですね。全盛期でしたらダイヤモンドバックスでも活躍できたでしょう。小谷さんもそうですが大魔神も能力見抜いて横浜に獲得推薦していたという記事を見て1流しか分からない目利きがあるのだと思いました。涼しい顔で当たり前の様に相手を抑える姿はまさに風神。「ポスト山口を」とよく言われますが阿部と並んで今後出てくるかどうかという選手。まさか今年鉄太郎が揃って引退とは思いませんでした。
〇年連続〇試合登板という様な記録がありますが、個人的にはこういう記録よりも救援陣ももう少し長年活躍出来る様に、(多くても年間50試合程度)体制を作って欲しいです。最後の60試合登板の年は調子が悪く、記録の為に投げさせた様に見えましたがこの年にしっかり休ませればもう少しやれたかもしれません。
余裕が無いとも思いますが長期的に考えればその方が能率的だと思いますのでその辺を考えられる投手コーチに着任して欲しいと思います。
投稿: てっちゃん | 2018年10月 6日 (土) 18時58分
てっちゃん
お疲れ様です。
2012年頃のぐっさんならMLBでバリバリやれたと思います。
涼しい顔ですがとてもバクバクなのがみんな分かってたんですよね。だからこそ慎之助や勇人が良く声をかけてましたね。
そういう野球に変わったのでしょうが、リリーフの登板数は増えましたよね。岩瀬のような選手が例外で、あれだけ投げると長く続けるのは難しいでしょう。
これからは登板数をいかに抑えられるかという手腕も問われそうですね。
投稿: Taka | 2018年10月 6日 (土) 20時59分